混沌が産まれ続ける地であるカオス平原に隣接して、ゴーブは存在する。300年代初頭、カオス・ノードをはじめ、魔力だまりが活発化して、混沌の生物が爆発的に繁殖する。そのさいにもっとも甚大な被害をこうむったのは、近隣都市にあたるゴーブであった。 人間、オーク、ゴブリン、ドワーフ、コビットやエルフでさえこのゴーブには存在する。太古の文明の名残りの残る廃墟に住みはじめたさまざまな小集団は、この混沌の地にあって種族を越えて団結した。それがゴーブのはじまりである。彼らは自都市において、異なる種族に対する感情を抱かないとみなされている。憎しみも友好的な気分も抱かず、ただ「必要だから団結する」という、なかば思考停止の状態でお互いを受け入れて生き続けている。この見立てはなんとなしにゴーブを中心とする大陸の人々には信じられている。 ゴーブの北東部にあたるカオス平原には、混沌の迷宮と呼ばれる迷宮が複数存在する。それぞれの迷宮から混沌の怪物はいまも産まれ続けている。
混沌の攻撃を受け続け、そのことの影響を深く受けた街。ゴーブに住む者のほとんどが、2つの道のどちらかに属することになる。ひとつは、この街を守り抜くために戦う道。もうひとつは、混沌の力に染まって生をつなぐ道。両者は大きく異なる精神性を持つようになるが、混沌の力を持つ者たちが人間であるかぎりは手を結んでやっていく。 街の人々は他者に関わるほどの時間を持たず、人に冷たい。しかし、PCが街を守る貢献をしてくれるのであれば、一転して真剣に話を聞いてくれるようになる。
ゴーブの支配者は代々オークの首領である。といっても、人間が虐待され奴隷同然に扱われているわけではない。クァアッククラックやシァアレのような単一に近い種族が住民の大半を占める街では、しばしば種族単位での支配が起こる。しかし、複数の種族が混じり合い均衡を保っているこの街では、そのような「差別」は起こらず、どんな種族でも奴隷となる可能性がある。オーク種族であってさえ、奴隷化される可能性があるのだ。ゴーブやネルドはこうした「差別なき奴隷化」が公然と見られる典型的な街である。 イメージに反して、この街の歴代の君主たちは独裁的になりきれていない。圧政をはじめれば反乱が起きて、みずからの首を絞めることになる。ときに支配的な態度で民衆と向き合う首領もいたが、血なまぐさい交代劇が必ず数年以内に行われた。もっとも、ゴーブの「平和的な」君主の政権も、そういった首領たちと比べてそれほど長いというわけではないが。この街の政治的な均衡は危うく、統治者たちはそのことを肌で知っている。 ゴーブはいつの世も暗い街であり、人々には活気がない。北方の貧しい土地に根を張っていることに加えて、終わる見込みのまったくない混沌との戦いに疲れ果てているためであろう。ゴーブに住むことはこの戦いと関わることと同義であり、直接的にしろ間接的にしろ、なんらかのかたちで混沌との戦いに対する貢献を求められる。
ゴーブが退けている混沌と呼ばれる勢力は、生まれたばかりの段階では自在に変化する肉や金属の塊である。生物を襲うため脅威ではあるが、問題はそこではない。混沌は成長とともに高い知能を持つに至るため、混沌の迷宮のどこかで大きくなった混沌(カオスマスターと呼ばれる)が、戦略的な戦いを挑むようになるのだ。
ゴーブの街には退廃した空気が蔓延している。大通りには乞食が溢れ、人々の瞳には光がない。店の多くが理由も書かれずに閉められている。混沌による影響なのか、肉体になんらかの問題を抱えている者もいる。兵士たちも長い戦いの結果、肉体の一部を生体移植またはゴーレムパーツ化している者が少なくない。
からくり発祥の地であるチャマイから近い土地柄、からくりはなじみのある技術であり、肉体の一部が木製のパーツで補われている兵士や市民は珍しくない。 ゴーレムパーツは肉体の一部を失ったあかしであるため、「不完全な存在」とみなす者もいる。しかし、一部の戦士たちにとっては別の指標でもある──カオスマスターはゴーレムパーツを着けた人間型生物に化けないのだ。
ゴーブの寄生虫 街の伝統である寄生虫との共存は、現在も人気が高い。肉体的に健康を得られ、精神的にも安定することから、ゴーブでは体内に寄生虫を飼う習慣が続いている。他の地方でよく流行する麻薬の使用率が低いことから、寄生虫を飼うことが精神的な苦痛の軽減に役立っているとの見方が強い。